2019年10月29日火曜日

信仰の対象

信仰の対象。それは言わずもがな、天地を創造された真の神様です。
私達はこの神様を信じて信仰生活を歩まされていきます。

教会生活をしていますと、誰かのために祈ると言うことをします。そして、様々な人からこのことために祈ってくださいと言われることは普通にあります。
プライベートのことですので内容はちょっと伏せますが、ある人のために祈りました。その内容はその人にとっても、決して簡単な内容ではありません。しかし、祈りの中でその問題を神様が解決してくださると言う平安が与えられました。
そして数か月後のことです。実際にその問題が解決されたかどうかを試される時が来ます。なぜか不安がやってきます。あの時信仰を持って神様に信頼してゆだねたはずなのに、なぜまた不安がやってくるのでしょうか。あの時平安が与えられたのだから、それを信じればよいではないかとも考えたのです。しかし、ここに落とし穴がありました。私はいつの間にか、神様ご自身への信頼ではなく、あの時与えられた平安にすがっていたのです。あの時平安が与えらえたのだから、それを続けて信じればいいじゃないかと。
しかし、神様から示されたのは次のことでした。過去の出来事や、経験によって信じるのではなく、神様をただ信じるということ。この天地を創造し、私達を愛し、祝福しようとされる神様をただ信じることです。
私ははっとさせられました。そして過去に与えられたことと関係なく、神様ご自身を信じることにしました。 すると、不思議なことに、平安が与えられ、その問題を神様が解決してくださるという確信を持つことになったのです。それまでの不安が嘘のように消え去りました。心に残っているのは平安だけです。

信仰の対象は神様です。それ以外の何物でもないことを聖書は示します。何か別のものによって平安を得ようとするのではなく、神様によって希望や喜び、平安を、愛する心を与えられて行きたいのです。

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