2018年7月28日土曜日

イエス・キリストを信じるとは?

今回はイエス・キリストを信じる、クリスチャンになるとはどういうことかについて少しお話をいたします。


みなさんは「イエス・キリストを信じれば救われます」とか、「イエス様を受け入れましょう」という表現を聞かれたことはあるでしょうか。それを聞いたとき、どのようなイメージを持たれましたか?
何か、イエスという偉大な人を崇拝する集団に入れられると言う印象を持った方もおられるかもしれません。しかし、「イエスを信じる」とは決して、儀式や組織に加わる事ではありません。さらに言えば、クリスチャンになったら、礼拝や献金や奉仕と言う儀式をしなければならなくなると言うのでもありません。

確かに教会では礼拝や献金などがありますが、これらはすべて神様に対する感謝や喜び、また、慕い求めるということなど、自分から進んで行うことから来るものなんですね。
聖書にも、献金などは義務感ではなく、感謝から捧げものをするようにと語られています。
ですから、誤解を取り除くために言うなれば、クリスチャンになったら「何々をしなくちゃいけない」と言うことではないということです。

では、クリスチャンになるとはどういうことを言うのでしょうか。一言で言えば、クリスチャンとはイエス様を救い主として信じたかどうかだけです。信じるか信じないか、ただそれだけです。

時々、クリスチャン=立派な人といったイメージを持つ方もおられます。それによって、私はまだクリスチャンになるにはふさわしくないと思ってしまうかもしれません。でも、「クリスチャンとはイエス様を救い主として信じた人」なのですから、誰でもイエス様を救い主だと信じる信仰を持つだけでクリスチャンになることができます。

ですから、信仰を持つ(=クリスチャンになる)ことに対して、立派とか立派でないということはありません。

クリスチャンが信じているのは次のことです。
神であるイエス・キリストが人となってこの地上に来られ、十字架で死なれ、三日目によみがえり、今も生きておられるイエス様を信じています。
死んでしまった偉人を信じているのではありません。今も生きて世界を支配しているイエス・キリストを信じるということが、クリスチャンとなることなのです。