2018年11月7日水曜日

子育てセミナーの恵みの分かち合い

 先日、私達の教会では「子育てセミナー」を行いました。そこで教えられたことを分かち合います。

 東京基督教大学の先生をお招きして、発達心理学の視点からも乳児期から青年期までのそれぞれの発達の特徴を教えていただきながら、子育ての愛の伝え方まで知ることができるセミナーとなりました。

セミナーの内容を簡単に3つのことでご紹介します。

1)それぞれの時期に見られる発達の特徴は欠かせない過程であること
たとえば、第一次反抗期と言われている幼児期の態度であったり、ものを奪い合ったりしている姿は、心が健全に成長発達するために欠かせないことです。ですから、子供が泣きわめいたり、ぐずったりしている姿を見ながらも、健全に育っているんだなと思っていただければいいですよと親たちを励ましておられました。
また、もう一つ重要なこととして信頼関係があります。言葉による説得よりも話を聞いてあげることなどによって信頼関係を築くことが大切だという事でした。

2)子育ての原点は神からの愛によること
大切なのは「子供を愛するにはまず親が自分を愛することが重要」、「子供が自分は愛されている!と実感できること」です。
私は私でいいんだと言うにしても、それはなぜ?と問われた時に根拠がなければ答えに詰まります。子供を愛する時、かわいいから愛するのでしょうか?良い子だから愛するのでしょうか?そうではないはずです。どんな子でも愛することが親心ではないでしょうか。かといって、親も決して完ぺきではありません。そんな私達は本当の愛を体験する必要があるでしょう。本当の愛は神様に見ることができます。神様は私達のことを「あなたは高価で貴い」と言って愛してくださいます。この神様に愛されているからこそ、そこで初めて私は神様によって高価で貴い。神様に愛されているから私でいいのだと言うことができるでしょう。
また、この神様に愛されているという実感が私達に必要なように、子供達にも自分は愛されているという実感を与えることが大切です。

3)自分をケアする
子育てのことで悩んでいる方の中には、子供をつい激しく叱ってしまうと悩む方もおられるかもしれません。でも人間には感情があり、時にネガティブな感情は人間に危険を知らせるアラームの役割を果たしているのだそうです。そのため、怒りは自己防衛の一つにもなるのです。怒りを単に否定せず、自分を守る感情として向き合ってみて下さい。(ただし怒りが継続すると敵意に変わるので、要注意です)
必要以上に自分を責めず、感情の見方を良い方向に向かわせていく事も教えていただきました。

 今回のセミナーでは子育てに関することだけに限らず、人間関係にも通じる基本的で大切なことを教えられた気がいたします。
子育て中の皆様も、是非参考になさってみてください。

2018年9月19日水曜日

2018 秋の子供お楽しみ会のお知らせ

 子供お楽しみ会のお知らせです。
 今回は食欲の秋と言うことで、子供たちの大好きな『コロッケ』をつくります。
 色々な味や形のコロッケを一緒に作って、食べましょう。
 星形、ハート形、人型? 味は野菜コロッケ、コーンコロッケ、カレーコロッケ?
 それは来てのお楽しみ。
 おいしいコロッケを一緒に作りましょう。

 9月22日、午後2時からやってます。



神様に喜ばれること

今回も聖書の分かち合いをしていきます。

「ここに大麦のパン5つと、魚2匹を持っている少年がいます。」
これは聖書にある、ヨハネの福音書6章に出てくる一節の言葉ですが、今日はここに出てくる少年に関して分かち合っていきます。

ある日のことですが、人里離れたところで休んでおられるイエス様のところへ、たくさん群衆が集まって来ていました。それは男の人だけでも5千人であったとあります。夕方になり、イエス様は弟子たちに向かって「どこからパンを買ってきて、この人達に食べさせようか」と言われました。しかし、当然5千人のお腹を満たせるほどのパンの代金なんて誰も持ってはいません。これは本当に買ってくることを願ってのことではなくて、イエス様がこれから行われる奇跡のためでした。弟子たちは誰しもが現実を見て、無理だと思ったことでしょう。そんな中、一人の弟子アンデレが、一人の少年がパン5つと魚2匹を持っていたと告げます。それが冒頭の言葉です。


ちょっと想像してみますと、何千人もいるなかで、この少年だけが賢く夕ご飯も準備していたのかとは考えにくいものです。そうすると、食事を探していた弟子達をしり目に、大人たちの中には自分や家族の食べる分だけで精一杯だ、自分たちがちょっとおすそ分けをしたところで何にもならないだろうと考え、隠していた人もいたかもしれません。でもその中で、一人の少年はパンと魚を差し出します。
当然この少年も、自分の出した分でみんなが満腹になるなどとは考えてはいないでしょう。でも、この少年がどうしてパンと魚を差し出したかを考えていくと、「少しでもイエス様お役に立てれば」と考え、自分にできる精一杯のことをしたのではないでしょうか。

ここで私がふと思ったのは、「私にはこれだけしかないから、何もできない」と思うのではなく、「私は今、自分のできることをしよう」とする心を神様が喜んでくださるということでした。

人はつい他の人と自分とを比べてしまったり、 自分は大した力はないと嘆いてしまったりすることもあります。でも聖書を見れば、神様はそんな目で人を見たり、分け隔てたりすることはしていないと分かります。

神様にどんなことをしたら喜ばれるでしょうか。それは神様のために行うことは何でも喜ばれます。そして、「私は今、自分のできることをしよう」とする人を待っておられます。神様はその様な人を用いて、神様の素晴らしい働きが行われていく事でしょう。

2018年8月22日水曜日

罪の利息

今日は私が日々読んでいる聖書の言葉の中で、ふと考えさせられたことをお分かちします。

今朝読んだ聖書箇所は、エゼキエル書18章でした。(聖書には創世記だとか、ヨハネの黙示録といった書簡があり、エゼキエル書はその一つです。)
その中にこんなことが書かれてありました。
「人が正しいものであるなら、公正と義を行う。・・・・利息を付けて貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を正しくさばき、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守って真実を行う。このような人が正しい人であり、この人は必ず生きる。」

この18章はまず最初に、誰かが原因であなたの罪が問われるのではなく、あなた自身の行いに対して自分の罪が問われると言っています。ですから、確かに何かの原因で怒ったり、憎んだりすることはあるでしょうが、でも相手を憎むかどうかは自分自身の問題でもあります。その上で気に留めたのが、「利息を付けて貸さず、高利を取らず」という部分でした。

私はこの言葉を文脈から、私の持つ罪について考えさせられました。
私はいつまで誰かのことを憎み続けているのだろう。相手が犯した罪のことについて、いつまでも憎しみと言う利子を付け続け、相手が犯した罪以上の高利な償いを求めてしまうのだろうか、そんなことを考えさせられたのです。 この聖書の言葉はただ単に外側の行動のことを言っているのではなく、内面の、そして罪性のことについて問いかけている。そしてこのことは公正と義ではない私の罪性を浮き彫りにさせます。

聖書はさらに続けてこう書かれてあります。
「わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守って真実を行う。このような人が正しい人であり、この人は必ず生きる。」
私達は自分の考えや人間的な正しさに頼るのであれば、人を赦し、愛することはできません。本当に正しく生きていくためには、私達はただ神様に従い、神の義に従って生きる必要があります。 それ以外にはありません。神を信じ従って生きる人が、神にあって正しいものとして罪赦され、必ず生きると言われます。
神様あなたに頼らせてください、正しく私を導いて下さいと今日も願います。

2018年7月28日土曜日

イエス・キリストを信じるとは?

今回はイエス・キリストを信じる、クリスチャンになるとはどういうことかについて少しお話をいたします。


みなさんは「イエス・キリストを信じれば救われます」とか、「イエス様を受け入れましょう」という表現を聞かれたことはあるでしょうか。それを聞いたとき、どのようなイメージを持たれましたか?
何か、イエスという偉大な人を崇拝する集団に入れられると言う印象を持った方もおられるかもしれません。しかし、「イエスを信じる」とは決して、儀式や組織に加わる事ではありません。さらに言えば、クリスチャンになったら、礼拝や献金や奉仕と言う儀式をしなければならなくなると言うのでもありません。

確かに教会では礼拝や献金などがありますが、これらはすべて神様に対する感謝や喜び、また、慕い求めるということなど、自分から進んで行うことから来るものなんですね。
聖書にも、献金などは義務感ではなく、感謝から捧げものをするようにと語られています。
ですから、誤解を取り除くために言うなれば、クリスチャンになったら「何々をしなくちゃいけない」と言うことではないということです。

では、クリスチャンになるとはどういうことを言うのでしょうか。一言で言えば、クリスチャンとはイエス様を救い主として信じたかどうかだけです。信じるか信じないか、ただそれだけです。

時々、クリスチャン=立派な人といったイメージを持つ方もおられます。それによって、私はまだクリスチャンになるにはふさわしくないと思ってしまうかもしれません。でも、「クリスチャンとはイエス様を救い主として信じた人」なのですから、誰でもイエス様を救い主だと信じる信仰を持つだけでクリスチャンになることができます。

ですから、信仰を持つ(=クリスチャンになる)ことに対して、立派とか立派でないということはありません。

クリスチャンが信じているのは次のことです。
神であるイエス・キリストが人となってこの地上に来られ、十字架で死なれ、三日目によみがえり、今も生きておられるイエス様を信じています。
死んでしまった偉人を信じているのではありません。今も生きて世界を支配しているイエス・キリストを信じるということが、クリスチャンとなることなのです。

2018年6月16日土曜日

2018 夏の子供お楽しみ会

夏のこどもお楽しみ会のお知らせです。

 今回は『ビンゴ・ゲーム大会』を行います。
 昨年来てくださった方は分かるかもしれませんが、夏に行った夏祭りがバージョンアップして帰ってきました。今回は7つのゲームコーナーを準備しています。昨年人気だったゲームコーナーも、さらにバージョンアップして楽しくなったもの、もちろん新しいゲームもたくさん増えています。
 みなさんには各ゲームに挑んでもらい、得点を集めます。その合計得点に応じてビンゴカードを何枚も手に入れることができます。ビンゴカードは最高7枚まで。小さな子にはハンデがあり、誰でも7枚手に入れるチャンスがありますよ。
  さあ、最後はビンゴ大会。だれが最後の賞品を手に入れることができるでしょうか。みんなでワイワイ楽しく遊んで、最後はビンゴ大会で盛り上がりましょう。

 お楽しみ会は、6月30日(土)の午後2:00から行います。
 この日は友達を誘ってお楽しみ会。みなさん待ってます。


2018年5月19日土曜日

第7回「心の健康まちかど小セミナー」のご案内

第7回「心の健康まちかど小セミナー」のご案内です。

 今回のテーマは「発達障害について」です。
発達障害は生まれつきの特性で、病気とは異なりますが、成長するにつれ本人は生きにくさを感じ、周囲も関わり方に戸惑うことがあります。発達障害はその特性を本人や家族・周囲の人が理解し、その人にあったやり方で日常生活や学校・職場での過ごし方を工夫すれば、その人本来の力が生かされるようになります。 (セミナーチラシ案内文より)

 皆様の周囲にももしかしらた、発達障害で悩んでおられる方がおられるかもしれません。また、発達障害は私達や周囲の方々もまた理解をしていく必要があるものです。私達はどのようにしたら良いのでしょうか。
 聖書によれば、イエス・キリストは私達と共におられる方です。 あなた自身が社会や人間関係において、孤独、生きづらさや戸惑いを感じている時にも、イエス・キリストはそばに寄り添ってくれる方であり、決してあなたを見捨てはしません。あなたのことを思い、祈り、声をかけ、接してくれていました。そのようにして愛を示してくださいます。発達障害である本人だけでなく、家族であるあなたにもまた、イエス・キリストは寄り添ってくださいます。
 自分よりも他者を思いやることは実際には難しいことかもしれません。それができていれば、争いは起きなかったかもしれません。愛したいけど愛せない自分がいる。他者を思いやれない自分がいる。それでも、決してあなたを見捨てずに、あなたを愛される方がおられるのです。この神の愛によって愛されることを体験する人は、生きづらさの中にあっても喜んで生きて行けるのではないでしょうか。

 発達障害にはあなたの理解も必要としています。あなたも一緒に、発達障害について考えてみませんか。どうぞ友人やご家族などもお誘いの上、ご参加いただければと願っております。

日時: 5月27日 13:30~15:00(少し終了時間が延びる可能性があります)場所:新船橋キリスト教会
※どなたでも、ご自由に参加いただけますので、お気軽にお越しください。