以前、メッセージの中でこんな話をしたことがあります。
仮に、青春とは、人生の中で一番輝いていた時期とします。
すると、みなさんにとっての青春とはいつでしたか?
ほとんどの方が、若い時を青春だったとお答えになるでしょう。
では、クリスチャンにとっての青春とはいつになるのでしょうか?
クリスチャンにとって年齢を重ねるという事は神様からの祝福です。
聖書から真理や神の愛を教えられ、そして日々成長させられて行きます。
そして、神様とますます親しい関係を築いていきます。
つまり、クリスチャンとしての人生を歩めば歩むほどに、成長や恵みが積み重ねられて行くはずです。
と、するならば。クリスチャンにとっての青春時代とはいつか、と問われるならば、「今がまさに青春だ!」と言うことができます。
1年前よりも、10年前よりも、今のクリスチャンとしての生き方の方が、神様が喜んでくださっている。そんな生き方をして行きたいですね。
そうすれば、クリスチャンとしてもますます輝けるのではないでしょうか。
年を重ねることって、本来、素敵なことなんですよ。
2016年2月23日火曜日
2016年2月12日金曜日
何を恐れるか
みなさんは、どのようなものに恐れを感じますか?
タイトルは「何を恐れるか」ですが、ここで言う恐れとは、お化けと言った類や、戦争や暴力などによる恐怖のことを聞いているのではありません。
人の目が気になったり、年齢による衰え、将来に対する不安などのことをお訊ねしています。
中には警察を見ただけで、なぜだかドキッとしてしまうことがある人もいるかもしれません。
私達が何かに対して恐れを抱くとき、それは自分の心がどこにあるのかを意味します。
別の言葉で言えば、自分が何を大切にしているかによって、抱く不安の所在が決まって行きます。
聖書には、神を恐れるようにという事が語られています。
「主を恐れることは知識の初めである。」と書かれてある聖書箇所もあるくらいです。
神を恐れるとは、神を神とすることとも言えます。神を認め、信じ受け入れ、罪から離れて生きることです。神を恐れない人は、神の言葉や真理を拒否します。
クリスチャンと言われている人であっても、神様を中心にしていなければ、罪を軽く見て、また罪人としての道を歩んでしまいます。するとどうなるか。神様よりも、世間体や人の目を気にして、自分の事の為に一生懸命に生きる事を選択します。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
神を中心にすると、神を恐れます。しかし、自分を中心にすると人を恐れます。
つまり、自分を中心にすることが罪を犯すことになるのです。
相手を愛することをやめる事、自分さえ良ければといった行動をとる事、弱者に目を向けない事、思いやらない事などなどが、自分を中心にすることであり、そうすることで、結果、人の目を気にしたり、聞く耳を持たないで人から何か言われることを避けようとしたり、警戒心、懐疑心を持つようになるからです。
むしろ、神を中心にする人は、聖書の語る真理を守ろうとし、人を助け支えようとします。
不満を抱かないという事ではなく、愛することを決してやめないということです。
もし、自分の内に、人に対する恐れを抱いているのであれば、それは自己中心がどこかにあるのかもしれません。何も悪いことがないのであれば、堂々と生きることができるはずです。
本当に神を恐れている人は、そのように、堂々と生きることができる人だと言えるでしょう。
あなたは何を恐れていますか?
タイトルは「何を恐れるか」ですが、ここで言う恐れとは、お化けと言った類や、戦争や暴力などによる恐怖のことを聞いているのではありません。
人の目が気になったり、年齢による衰え、将来に対する不安などのことをお訊ねしています。
中には警察を見ただけで、なぜだかドキッとしてしまうことがある人もいるかもしれません。
私達が何かに対して恐れを抱くとき、それは自分の心がどこにあるのかを意味します。
別の言葉で言えば、自分が何を大切にしているかによって、抱く不安の所在が決まって行きます。
聖書には、神を恐れるようにという事が語られています。
「主を恐れることは知識の初めである。」と書かれてある聖書箇所もあるくらいです。
神を恐れるとは、神を神とすることとも言えます。神を認め、信じ受け入れ、罪から離れて生きることです。神を恐れない人は、神の言葉や真理を拒否します。
クリスチャンと言われている人であっても、神様を中心にしていなければ、罪を軽く見て、また罪人としての道を歩んでしまいます。するとどうなるか。神様よりも、世間体や人の目を気にして、自分の事の為に一生懸命に生きる事を選択します。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか。
神を中心にすると、神を恐れます。しかし、自分を中心にすると人を恐れます。
つまり、自分を中心にすることが罪を犯すことになるのです。
相手を愛することをやめる事、自分さえ良ければといった行動をとる事、弱者に目を向けない事、思いやらない事などなどが、自分を中心にすることであり、そうすることで、結果、人の目を気にしたり、聞く耳を持たないで人から何か言われることを避けようとしたり、警戒心、懐疑心を持つようになるからです。
むしろ、神を中心にする人は、聖書の語る真理を守ろうとし、人を助け支えようとします。
不満を抱かないという事ではなく、愛することを決してやめないということです。
もし、自分の内に、人に対する恐れを抱いているのであれば、それは自己中心がどこかにあるのかもしれません。何も悪いことがないのであれば、堂々と生きることができるはずです。
本当に神を恐れている人は、そのように、堂々と生きることができる人だと言えるでしょう。
あなたは何を恐れていますか?
2015年12月29日火曜日
クリスマスキャロリング
新船橋キリストでは、毎年クリスマスに、キャロリングを行っています。今年もクリスマスイブに近隣のスーパーにおいて、キャロリングをさせて頂きました。
キャロルとは、神の栄光を表す讃美を歌うことです。そして、クリスマスキャロルでは、イエス・キリストがお生まれになったことを賛美を持って告げ知らせることをしています。
イエス・キリストは、私たちすべての人間のために身代わりにとなり、十字架に掛かって死ぬという目的のために産まれました。人生の中で選択肢として十字架を選んだのではなく、初めから身代わりなることを目的としてこの世に来て下さいました。
罪のための身代わりになる。これが私達にとっての救いです。罪によって滅び、地獄に行くしかありえない私達人間が、イエス・キリストの身代わりによって罪が赦された者とみなされました。その目的の為に救い主として、神である方が人となって誕生されたのです。これがクリスマスであり、私達が嬉しい喜びとしてクリスマスをお祝いする理由です。
私達クリスチャンは、神様が私達救うために来られたこと、私達のために命を捨てて下さったことを信じています。そのことを全ての人に知って欲しいと願っています。なぜなら、神様がそうであるように、私達も全ての人が救われて欲しいと願うからです。だからこそ、私達はキャロリングを行っています。
クリスマスキャロルを通しても、神様の救い(=神様の愛)を伝えることで、あなたにも神様の救いが現れることを望んで、高らかに賛美を致します。今後、もし皆様にもクリスマスキャロルを聞く機会がありましたら、どうぞその歌詞にじっくりと耳を傾けてみて下さい。神様があなたをどれ程愛しておられるか、感じて頂くくことができるのではないでしょうか。
あなたにとって、神様からの素晴らしい喜びが注がれ続けますように。
2015年11月2日月曜日
クリスチャンとハロウィン
日本でも、ハロウィンのイベントが目立つようになってきています。
そのことに関連して。
ハロウィンは10月31日に行われるお祭です。でも、聖書とは関係のないお祭です。
ハロウィンの起源自体は異教的(キリスト教とは異なる宗教のよう)なものであり、元々は収穫祭です。この時期は、死者と交流できる期間とされ、悪霊や魔女の話が盛んになり、それに関する事も行われたりしました。そういう意味では、異教的なものです。
一方、現代におけるハロウィンでは、悪魔と交流するためにハロウィンを行っている訳ではないのが殆どです。異教的な意味や、宗教的な意味を持たずに、ただのお祭りとして楽しんでいることが主でしょう。日本では仮装自体を楽しんでいる人が増えてきています。クリスチャンの中にも、異教的なものを取り除いて、仮装を楽しんでいる人もいます。
異教的なものを取り除いているので、聖書に反したことをしているのではないと考えるクリスチャンもいれば、ハロウィン自体を良くないと考えるクリスチャンもいます。
さて、ここで、私が特にクリスチャンの方に考えていただきたいのは、キリスト者としてこのような物事に対して、聖書に照らし合わせて考えていく必要があるということです。
単純に世の中の流れに流されていくのではなく、本当にしっかりと 、良心と信仰に照らし合わせて考えた上で判断をしているかということです。
たとえ、現代のハロウィンが異教的なことはしてないとしても、クリスチャンがおばけや魔女の格好をし、血が流れた姿で「ハッピー」と言ってる姿は、いかがなものかとも思えます。牧師が悪魔の格好をして「ハッピー」と言っていたら、「変」だと思う方もいらっしゃることでしょう。
判断の結果は分かれることもあるでしょうが、そうであったとしても、クリスチャンとしては必ず、良心と信仰に照らし合わせて判断はすべきでしょう。ただ誰かがこういっていたからと、流されるままにではなく、個人として神様に向き合って判断をしていくのです。
これは、ハロウィンに限った事ではありません。
ただ、もう一つ。
ハロウィンを通しても、神様の福音を伝えるきっかけになる事ができれば、 ハロウィンが完全に聖書的なものに変わる事ができればとも考えます。
そのことに関連して。
ハロウィンは10月31日に行われるお祭です。でも、聖書とは関係のないお祭です。
ハロウィンの起源自体は異教的(キリスト教とは異なる宗教のよう)なものであり、元々は収穫祭です。この時期は、死者と交流できる期間とされ、悪霊や魔女の話が盛んになり、それに関する事も行われたりしました。そういう意味では、異教的なものです。
一方、現代におけるハロウィンでは、悪魔と交流するためにハロウィンを行っている訳ではないのが殆どです。異教的な意味や、宗教的な意味を持たずに、ただのお祭りとして楽しんでいることが主でしょう。日本では仮装自体を楽しんでいる人が増えてきています。クリスチャンの中にも、異教的なものを取り除いて、仮装を楽しんでいる人もいます。
異教的なものを取り除いているので、聖書に反したことをしているのではないと考えるクリスチャンもいれば、ハロウィン自体を良くないと考えるクリスチャンもいます。
さて、ここで、私が特にクリスチャンの方に考えていただきたいのは、キリスト者としてこのような物事に対して、聖書に照らし合わせて考えていく必要があるということです。
単純に世の中の流れに流されていくのではなく、本当にしっかりと 、良心と信仰に照らし合わせて考えた上で判断をしているかということです。
たとえ、現代のハロウィンが異教的なことはしてないとしても、クリスチャンがおばけや魔女の格好をし、血が流れた姿で「ハッピー」と言ってる姿は、いかがなものかとも思えます。牧師が悪魔の格好をして「ハッピー」と言っていたら、「変」だと思う方もいらっしゃることでしょう。
判断の結果は分かれることもあるでしょうが、そうであったとしても、クリスチャンとしては必ず、良心と信仰に照らし合わせて判断はすべきでしょう。ただ誰かがこういっていたからと、流されるままにではなく、個人として神様に向き合って判断をしていくのです。
これは、ハロウィンに限った事ではありません。
ただ、もう一つ。
ハロウィンを通しても、神様の福音を伝えるきっかけになる事ができれば、 ハロウィンが完全に聖書的なものに変わる事ができればとも考えます。
2015年9月27日日曜日
青年キャンプ
先日のシルバーウィークは、皆様どのように過ごされたでしょうか。
私は、教団の千葉宣教区青年会キャンプに委員として参加してまいりました。
シルバーウィークということもあって、今回は二泊三日といつもよりも一日長くキャンプが持てました。今回のテーマは「聖書的な人間関係について」。
互いに愛し合うことについてを中心に、励ましと力をいただき、それぞれに御言葉に対する応答と実践の思いが与えられ、青年たちにとっても、クリスチャンとしての成長につながる、そんなキャンプの時でした。
青年会委員である自分としても、これからもますます、千葉宣教区の青年たちの信仰成長とその支えのために、もっと関わって行きたい、そんな思いが与えられた期間でした。
そして、メッセージだけでなく、賛美、日の出ウォーク、罰ゲームありのゲーム、アクティビティー、そしてたくさんの交流を通して、充実したプログラムとなり、本当に楽しい素敵なキャンプとなりました。特にゲームでは、人間関係をテーマにした内容であり、罰ゲームがあるということでみんな真剣そのもの。おかげで、互いの協力関係を楽しく築くことができていました。
キャンプ全体が楽しくて、時間がぜんぜん足りないくらい。と、きっと誰もが思ったはず。そう言えるほどのものでした。
というわけで、これはもう、他の宣教区が羨むような、千葉宣教区青年会になっていくしかないのでは。
まだ青年会に参加していない青年の方がいるなら、是非、千葉宣教区の青年会へ!
私は、教団の千葉宣教区青年会キャンプに委員として参加してまいりました。
シルバーウィークということもあって、今回は二泊三日といつもよりも一日長くキャンプが持てました。今回のテーマは「聖書的な人間関係について」。
互いに愛し合うことについてを中心に、励ましと力をいただき、それぞれに御言葉に対する応答と実践の思いが与えられ、青年たちにとっても、クリスチャンとしての成長につながる、そんなキャンプの時でした。
青年会委員である自分としても、これからもますます、千葉宣教区の青年たちの信仰成長とその支えのために、もっと関わって行きたい、そんな思いが与えられた期間でした。
そして、メッセージだけでなく、賛美、日の出ウォーク、罰ゲームありのゲーム、アクティビティー、そしてたくさんの交流を通して、充実したプログラムとなり、本当に楽しい素敵なキャンプとなりました。特にゲームでは、人間関係をテーマにした内容であり、罰ゲームがあるということでみんな真剣そのもの。おかげで、互いの協力関係を楽しく築くことができていました。
キャンプ全体が楽しくて、時間がぜんぜん足りないくらい。と、きっと誰もが思ったはず。そう言えるほどのものでした。
というわけで、これはもう、他の宣教区が羨むような、千葉宣教区青年会になっていくしかないのでは。
まだ青年会に参加していない青年の方がいるなら、是非、千葉宣教区の青年会へ!
2015年9月5日土曜日
夏のお楽しみ会
先日、地域の子供達に向けて、夏休み最後の 「夏のお楽しみ会」を行いました。
最初に水鉄砲バトルを行い、額につけた的をめがけての打ち合い。小雨の降る中でしたが、思わず大人も本気になる白熱ぶり。思いっきり楽しみながら体を動かす。これは毎年の恒例行事にしてもいいかもしれませんね。
お昼には、カレー作り。自分たちでお昼ごはんを作った分、いつもよりも美味しいカレーに、ついついおかわりをしていました。
ご飯を食べたあとは、工作作りで小休止。
そして、体を動かし、お腹も満たされた次なるミッションは、謎解き宝探し。
あちこちに隠された問題を探し、ヒントをもらいながら謎を解きつつも、最後の方では「う~ん?」といった様子。「諦めたら、そこで試合終了だよ。」と励ましつつ、名探偵さながら、何とかすべての問題を解き明かし、見事お宝を手に入れていました。ちなみに、宝はたくさんのお菓子でした。そして、お菓子がなくなるのが早いこと。そうそう、頭を使ったら糖分が必要ですからね。
それぞれの様子としては写真のように、こ~んな感じです。
写真を載せきれてはいませんが、ほかにも子供たちとゲームや工作をして、楽しませていただきました。
楽しすぎて(?)、予定時間をオーバーしても遊んでいる子供たちの姿に、こちらも笑顔。
また楽しい企画を準備して待ってますよ。 子供たちのリクエストに応えて、次回は食べ物系でしょうか?
最初に水鉄砲バトルを行い、額につけた的をめがけての打ち合い。小雨の降る中でしたが、思わず大人も本気になる白熱ぶり。思いっきり楽しみながら体を動かす。これは毎年の恒例行事にしてもいいかもしれませんね。
お昼には、カレー作り。自分たちでお昼ごはんを作った分、いつもよりも美味しいカレーに、ついついおかわりをしていました。
ご飯を食べたあとは、工作作りで小休止。
そして、体を動かし、お腹も満たされた次なるミッションは、謎解き宝探し。
あちこちに隠された問題を探し、ヒントをもらいながら謎を解きつつも、最後の方では「う~ん?」といった様子。「諦めたら、そこで試合終了だよ。」と励ましつつ、名探偵さながら、何とかすべての問題を解き明かし、見事お宝を手に入れていました。ちなみに、宝はたくさんのお菓子でした。そして、お菓子がなくなるのが早いこと。そうそう、頭を使ったら糖分が必要ですからね。
それぞれの様子としては写真のように、こ~んな感じです。
写真を載せきれてはいませんが、ほかにも子供たちとゲームや工作をして、楽しませていただきました。
楽しすぎて(?)、予定時間をオーバーしても遊んでいる子供たちの姿に、こちらも笑顔。
また楽しい企画を準備して待ってますよ。 子供たちのリクエストに応えて、次回は食べ物系でしょうか?
2015年8月24日月曜日
献堂10周年記念
先日の日曜日に、新船橋キリスト教会の献堂10周年記念を行いました。
この教会が建てられた時に牧会をなさっておられた、小池先生ご家族をお招きしての祝福されたひと時でした。皆さん懐かしそうに話をしておられ、笑顔がまぶしいくらいでしたね。
そうそう、新船橋キリスト教会のみなさんは、本当に笑顔が多い人達ばかり。これも、小池先生の人徳のなせたわざでしょうか。見倣いたいですね。
献堂10周年。ますます、福音の働きが前進していく教会であり続けたいと思います。
神様に感謝。
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